指導者と教育者

ギター教室

今回はちょっと真面目なお話し。

振り返れば40年弱ギターの指導をして来ました。その様な中で最近感じる事があったのでここに書いて見ます。

テーマは指導者と教育者

因みに私は23歳で音楽指導を始めてから一貫してより良い指導者とは?を自問自答して齢を重ねて参りました。多分にそうなったのは演奏家であった父の影響からだと思われます。それと臨済宗の禅寺に入ったり通った事も大きな転機になっています。寺では老師は何も教えません。問いかけるだけの世界です。父の指導はいま何をやるべきかを指し示すだけでそれ以外何も教える事はしませんでした。そうなると必然的にレッスンを受ける側の在り方が問われるのです。

私にとって何も教えない指導者であった父は偉大であったと言えます。この経験は私が指導者としての在り方を形成して行きました。それは昭和の指導なのかも知れません。そのままではいくらなんでも厳しすぎるので創意工夫を重ねていますが基本的には同じの様です。

○指導者 進む方向性、或いは今取り組むべき事柄を指し示す者です。

○教育者 教育を授ける者。教育とは徳育の事を指すと理解しております。徳育の振興になります。この場合数年或いはそれ以上の期間を要します。また一回の人生の中で完成する事は稀かと思いますが各々が自律主体性を発揮して切磋琢磨する事が肝要かと存じます。

実は昔からお教室に来られても全く練習をしない大人の方が一定数おられます。この方々に私が出来る事は正直何もありません。

練習をしたいけどさぼってしまう方から要望のある場合は練習を習慣化出来ない方への対応もしております。

習慣化出来る仕組みがありますので切望される方には伝授しています。如何せん練習しない方は殆どの場合この仕組みに興味を持ちません。こうなると私にはお手上げです。何故かと言うと仕組みを理解してもそれを実行するのはご本人だからです。何事も行動に移さない限り何一つ変化は訪れません。

棚ぼたで与えられる事は人生を豊かにはしてくれないと理解しています。

教育とは生まれてから家庭や学校等の教育機関で自身を律しながら徳を育む事を”自らが身に付けて行く”ものです。

特に大人の生徒に教育を施す事はその方の人生課題への冒涜であると捉えていますので私はその事に一切介入致しません。

当教室では毎回レッスンの始まりに「今日の得たい成果は何ですか?」を問います。自発的に得たい成果を発信して頂きその成果に向けて生徒に寄り添いながらレッスンを行います。

解りやすく説明すると”お教室は仕入れるところ”即ち市場です。そこで自発的に仕入れたものを帰宅して冷蔵庫に入れたまま次のレッスンを迎えるのか或いは色々と料理して身に付けて行くのかと言う事で説明しております。

長年積み増さねて来たノウハウを毎回ご説明しても全く実行に移されないのを経験すると虚しさを感じてしまいます。1ミリでも前進出来たら最高なんですけど…

ご説明しても練習出来ない場合の対応について。

例えばギターケースを月に二度開けましょうね!などです。それでも練習を全くしない方には辞めて頂いております。悪しからず。これは私の音楽仲間や先輩に至っては「当たり前ですよ。何も練習しないで何しに来られるの?」との声が返って来ます。

追記 お子さんの場合は各ご家庭の教育方針がありますので親御さんのご協力のもとレッスンをしています。

ここまで書いて来て練習しない方が悪いとか練習する方が良いと言う事では全く無いのです。するしないはご本人の課題です。各々の個性がそうである唯それだけです。シンプルな世界ですね。

働き盛りで出張やら繁忙期など練習が出来ない時に威力を発揮するレッスン方法が存在します。しかしこれが機能するのは普段練習している方の場合に限ります。

現在の当教室の生徒の皆さんのケースを紹介します。

1日10分される方からお仕事をリタイヤして毎日5時間!される方までまちまちです。週末にまとめて練習する方もおられます。仕事と生活の隙間時間を使って音楽を楽しまれています。

人生一回切りです。今出来る事を精一杯楽しみましょう!

その為に出来得る最高のレッスンを精一杯させて頂いております。

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