今回は専門性の高い内容になってしまい済みません。次回ブログの方が実践的なので飛ばして頂いて結構です。
感情・精神性なども重要ですが掴みどころも無いので今は脇に置いておきます。重要ですが掴みどころも無いので今は脇に置いておきます。
それでは意識について考えてみましょう。
演奏者にとって意識とは何でしょう? 実体の無いもの。
意識の役割は?
意識の役割は「その全てを情報化する事」
その情報とは?
音楽においては情報化する行為の末に得られた楽音のこと。
情報である音そのものには動きはありません。 言い換えると情報は止まっている。
しかしながら音を奏でる身体すなわち実体は流転し続ける。
問題はこの両者の扱い方を間違えるとうまく行かなくてなると言う事です。
実はこんな難しく考えなくても子供達はほとんどの場合うまくやります。自然にやりますので。
それでは、大人の方に質問です? 汚い音 悪い音は存在するのか?
イエス! 実は汚い事は重要ではなくて問題になるのは情報のノイズであると言う事
要約すると大事な事はその音は情報として機能するのか?
この一点が重要。情報(楽音)と情報(楽音)の間にエピソードが生まれストーリーが展開します。
それを奏でるのは絶えず流転し続ける実体である身体。
”ヘラクレイトスの言った流転する実体”をどう扱うべきか?と言うややこしい問題が存在します。
侍の所作から生まれた様々な型。日本では江戸文明期にそれはそれは洗練された型が存在し様々な芸術に昇華されました。型とは実態を伴った叡智の事です。
文明の叡智は栄枯盛衰せしめながらと時を刻みます。
身体を整えると誰でも自律的に自然の機能である流転を利用できる様になります。そのことを昔の人は型と呼びました。
この型をこの時代に普及させる事に重きを置いてレッスンしています。
つづく
コメント